包含関係

リアルに背を向け、自分を弱くしてはダメ!

  • 20代の若者は、お酒もあまり飲まなくなりました。
  • 今の20代には車も売れません。
  • もちろん、バイクも売れません。

さて。


食料の溢れる現代日本において、酒なんて単なる飲食物の1つに過ぎない。ハレとケの心理がそれなりに残っていた時代では多少なりとも酒に意味があったのだろうが、さらに薄れてしまった時代では、酒を介したコミュニケーションに大した意味はなく、それこそ酔って騒ぐだけになってしまった。騒ぎたい人はともかく別に騒ぐ必要がない人には意味がない。


自動車もそうだ。自動車を所有していることにステイタスはなく、単なる移動・輸送の手段に過ぎない。交通機関は自分で移動の責任を負う必要がないが、自動車は高い責任を問われる。
また、個人的には、自動車のエンジン音と振動は不快だし、バイクはもっと不快だ。それが好きな人がいることは分かる。自分も、工業系のSEを含んだ音楽やアンビエントが好きなので、単純な機械の動作音の心地よさも知っている。しかし、眠れないときの時計の針の音のように、不快にもなることも事実なのだ。


結局のところ、世界はフラットになったというだけのこと。物的に豊かになったのだ。ケチる必要がない。そのことの精神的余裕が穏やかな生活をもたらしている。いつだって移動できるなら、躍起になって移動することはない。いつでもお酒が飲めるなら、殊更飲む必要はない。


人里離れたところに住んでいる仙人は、村人と接触することがない。にもかかわらず、麓の村がまるごと移転すると、仙人も付いていって、やはり人里離れた山に住んだという話がある。
また、紐を引っ張れば作業を中止して良いと言って単純作業をさせる心理実験では、単に作業をしてくださいと言われた場合よりも、人は作業を長時間続けるという。


いつでもアクセスできる。いつでも好きなようにする自由がある。選択ができる。そんな余裕が、ようやく日本人に見いだせるようになった、ということだろう。



それに、リアルって何だよ? ニートですら、モニタに映る不気味な顔が自分のものだって分かっているのに、この記者は、ネットをする人間を"アンリアル"な世界に脱出できるとでも信じているのだろうか。たとえそれが理想であっても――それが理想であればこそ――自分が"リアル"にいることが鮮明になるというものだ。ネットは現実世界の内側にある。ネットから外に出ることなんてできないことは、中の人の方がよく分かっている。


あるいは、そのリアルでない方の比重が高い世界、リアルでない方が処世術にとって重要な世界が来たとき、リアルの方が逃避になってしまうという可能性を考えていない。"落ち"たら内側からは絶対にアクセスできないのだ。今のところは。
人間の社会そのものがリアルを隠蔽する方向に進んできたというのに、何を言っているのか、と思う。ピラミッド内部にあったという落書きをかみしめて黙っていれば良いのに。