他己ウケ

http://www.dentsu.co.jp/di/consumer/index.html


相変わらず、おっさん(かはしらんが)が青少年と絡むと、昔は自分も10代だったくせにキモい分析しちゃうよなあ。
結局は、ケータイ使ってるだけで、日本人のメンタリティは昔と同じなんじゃないかな。

で、ここで感じた日本人のメンタリティは、少なくても1960年代からは続いているメンタリティ。根拠はないが、TVを中心としたマスコミの体制ができあがった頃から続いている情報共有の構造。当時の新商品が登場した際の報道なんかを見てみると、基本的にいまと変わらないように思う。いまの報道がかつての報道スタイルを踏襲しているだけで、実体は異なっているのかも知れないけれど。新聞・ラジオの開始期かそれ以前からあるかも知れない。日本人は権威に弱いなあ、という紋切り型で言われるときの日本人像。



http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20090219
「他己ウケの時代」が言おうとしていることって、旧来の日本的な処世術とはまた少し違ってきていると思うから。


これについては、少なくとも80年代にはそんなかんじだったんじゃないの、と思う。昔のマンガとかアニメとかみても、秀才キャラというのは、空気読んでわざと何問か間違えておく、みたいなスタイルで描かれてきた。実際にそんな子とするヤツがいたかどうかはともかく、80年代に作家をやっていた連中が学生だった頃には既にそんな空気があった、ということだ。


まあ、これも階級を絡めることも可能だろう。要は、その場の平均から逸脱しないようにするのだ。もっとも、そういうキャラは後々進学する際に上のクラスの学校に行ってしまう。
最近では、わざと周囲と同じレベルの進学先を選ぶキャラもいるような気もするが、それは自分の目的が見つからないからという理由が付けられている。


他己ウケの記事ではないが、ケータイがあれば、物理的に一緒にいなくても、サークルは維持できる。階層違いが空気を読むなら、まず場を離れ情報の共有だけにして、次第に交流のペースを下げていく。メインのサークルからいなくなってしまえば交流頻度が下がっても自然だし、ちょっとだけ繋がっていれば、何かの理由でサークルに復帰する必要が生じたときにもそんなに負荷はない。


そもそも、レベルが違うなら本人はどのみち疎外感があるはずだし、周囲の奴らだって空気読んでるなとは思っても自分と同じだなんて信じたりしないんだから、インテリの友達がいない奴はインテリになれないなんてことはないと思う。やれば出来るのに、やらないでおくレベルのヤツは増えるかも知れないが、やればできるなんて結果論だし、そんなもん全体で底上げする以外にレベルの上げようなんてないんじゃないか、と思う。