「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

amazonの書評を見てみたら、結構批判的。
保坂は別に、逃げ続けているわけでも、考えが変わったわけでもないだろう。むしろ、一貫してぐだぐだ考える行程という形式に固定化されているように思う。まあ、固まってしまっている自分のスタンスを、保坂自身が感じているから、プー太郎に憧れるんだろう。連中は、一貫性がないという点で一貫性があるが、行動とかその都度考えていることは、人として軸がぶれているかのごとくだから。
それに結論を重視しているわけではなくて、過程を楽しむのが良いんだと言っているわけだから、それを汲んで、ああ今でもぐだぐだやっているなという様を楽しめばいいじゃないか。何を言っているかじゃなくて、どうしてそれを言っているのかという前後が見えればそれでいい、という感じの本なのだから。まあ、それを無視して批判するのも、そもそも、そういった保坂の考えを受け容れていないという表明としてはありだろう。
表題については、確かに意味が分かりにくいと思う。一回見ただけでは、意味の方向性を限定できない。内容については、結局は思ったことは覚えているけど、普通に50代まで生きているわけだし、50代になってみると10代の頃の価値観とは断絶を感じて、あるいは感じなくてもきっと違いはあると考えて、過程を重んじる保坂としては、その変化と、変化しているのに昔の自分はやっぱり自分で、違うのに同じということが面白い、ということであって、10代を特別視しているわけじゃないと、読み返しもせずに適当な印象で書く。
一番分かりやすい変化の区切りとして、10代を持ち出したということ。あ、でも、そんなことは普通の青春賛美でも当然のことかもね。どうなんだろう。ハチクロのことを思い出すけれど。