夢の最後まで

京アニCLANNADの第9話。
一旦消えてから、また思い出して、余韻を残しつつ消えていく。そんな伊吹風子の話。いないいないばあみたいな、古典的で原始的、それ故に力ある話。
クラナドはまさに人生、ただし生後6ヶ月みたいなっ!


この間、保坂和志の『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』を読んで、随分と上遠野浩平っぽい文章になっているなと思って、まあその時は若者へのエールみたいなものを、若者っぽい勢いで大人が書くと、こんな文章になるんだろうなと思った。
で、今回のクラナド伊吹風子編のエピローグっぽい部分からも上遠野浩平っぽさを感じたのだが、それは時代が上遠野に追いついてきたのか、自分の感覚が何にでも上遠野フィルターを掛けてしまうほどに中二化しているのか。
ま、いつもいつも中二病かどうか考えているあたり、まさに上遠野がターゲットにしている層、高校生くらいの年齢、そしてその思考たる高二病とかなんだろうよ。



次回からは、一ノ瀬ことみのエピソードらしいが、一ノ瀬ことみ、keyキャラの宿命からか、天才少女だが常識に難があるというよりは、そもそも知力に難があるようにしか見えない。
少なくとも記憶力は良いらしいから、フィクションではすっかりお馴染みになりつつあるサヴァン症候群的な感じか。サヴァン症候群は天才じゃないよな。
まあ、精神分析学者っぽい人間は、人間何かしらの「症状」を持っているものだとか言うんだろうけれど、全国模試で10番とかいう秀才っぷりからはほど遠い。学校の勉強は天才を作ったり判断したりするものじゃないから、その結果だけじゃ天才かどうかなんて分からないぜ、きっと。
まあ、世間一般で言うところの天才なのかもなあ。でもなあ。