別れの夜想曲〜nocturn〜

京アニKanonの第20話。
あゆがここまで普通の人間的キャラクターに収まってしまうとは。舞は比較的意味不明というか、良く言えばミステリアスなまま来たけれど、あゆも相当おかしいキャラクターのはずだったのに、女の子な感じだった。ハルヒのアヒル顔が演習だったように、あゆも表情付けてたなあ。
今日も相変わらず祐一は何も知らされていないで巻き込まれるヒロイン役だった。けれど、急にいなくなってしまったあゆに対する瞬間だけは、その消えてしまうという一種妥当なホラーめいた演出が、少女のはかなさの属性を強調するせいであゆのヒロイン性を高めて、相対的に祐一が主人公になった。自主的に動くところまでは描かれなかったけれど。

さて、今回はいつもにまして秋子さんがさりげなく強力な動力になっている。名雪を支え、祐一にヒントを出し……。まさに子どもを見守る大人。ただ、何をやっているか分からない秋子さんは、昼間どう過ごしているか分からないあゆ同様、本来ならば消えてしまいそうな立ち位置にいる。風邪をひいて寝込んでしまうというレベルで抑えられているけれど、秋子さんくらいの存在感になると、消えてしまうという線も十分自然だ。ただ、秋子さんはいなくならない方が正解だ。祐一にとってはヒロインにはなり得ないから。祐一はまだ子どもで、秋子さんはすっかり大人なのだ。立っている位置が違っていて、其処には明確な線が引かれている。そこら辺は、民話ファンタジーみたいなフィクションとしてのリアリティの強度の領域。大人は、子どもにとって返るべき場所であって、頼りなくいなくなってしまうわけにはいかない。現実的に考えても、大人ってのは色々動けないもんだし、いなくなったりしないというよりは、いなくなったりできないものでもある。