なくなるということ。

十一月十一日

死生観は様々ですが、私は死んだら夭折だろうが長寿だろうが、

善人だろうが悪人だろうが、全て無に帰すると思っておりますので、


全脳なる世界観というか、脳で生きている人の価値観。死んで失われるのは、精神活動。フィジカルなものは残る。そうでなかったら解剖なんてできない。とか言うと、すっかり養老猛ミームに感染している感じ。

でもまあ、一旦自我を獲得してしまえば、どんなにしょぼい自我だって自分は自分。それがなくなってしまえば後は無かもね。少なくとも、死んでしまった“自分”には世界の存続を確認できない。

しかし、そんなに世界の存在が大事か? 全てが無だと言うほど大げさなことか? そして、それは“自分”が確認しなければいけないことか? “自分”ってそんなに大事だろうか。

ぼくは“ぼく”が一番大事だけどね。精神が残れば、サイボーグだろうがロボットだろうが量子サーバの中だろうが構わないし。