kanonの3

回を重ねるごとに祐一の印象がキョンになっていくのだが、よくよく考えてみればkanonってのはギャルゲーなのだ。ギャルゲーの主人公のキャラクター性というものは割合自由自在で玉虫色、プレイヤーと一体化したものなのだから、杉田というか、京アニがプレイヤーのkanonのリプレイでは、祐一はこういうキャラクターなんだな、みたいな理解をしてみる。


過去と記憶の欠落がテーマっぽい雰囲気で提示され、ああ確かにこれなら泣きゲーといわれてもおかしくないテーマだったんだなあ。鯛焼き泥棒とか、思いこみを正当化するヒロイン群を仄温かい目線で見つめるゲームだとばかり思っていたのだが。京アニの読み込みは毎度ながら偉大だね。


キャラクターの顔のデザインはアクが強いけれど、引きで見るときなどは全身のフォルムがかなり自然。セリフも殆ど変わっていないはずなのに自然な印象。こんなにも普通の言葉だったのか、なんて思うのだが、それともkanonをプレイしたときと比べてすっかりアニメ脳に侵されてしまったのでしょうか、と疑問を投げかけて終了。

あと、名雪が正面向きじゃないときに朝倉に見える症状は何とかなりませんか?