遅れてきたレビュー

アニメを見るしか能がないから、アニメを見て生活をする人になっていたのだが、意外にも忙しさにかまけて新番組を録り溜める一方だった。しかし、一度きりの人生を贅沢*1に使おうと思って、再びアニメを見る人へ。


あさっての方向。

最後に「。」を付けるのが本格的に流行っていたのはいつの頃だったか、ということについては特に気にはならないので茫洋と見た。

まず、尋は往人っぽいようでいて、悠二(才人*2)というキャラだった。小岩井じゃないだろうな。

そして、感心したのは、五百川からだ(どんな名前だ)という女の子が、身体だけ大人になってしまったときに(ちょっとエロい響きだ)、「こんなの私じゃない」とかなんとか言っていたこと。まあ、こんなシチュが実際にあったとして、素直に受け入れるヤツはいないと思うけれど、「こんなの私じゃない」という硬直ぶりが、なんとなく子どもらしくていいな、と思った。子どもってやつは安定感を求めるもので、他人と違うものだとか、普通じゃないもの、いつもと違うことを嫌う。別に日本人に限ったことじゃないはずだ。大人になると、理性や経験でもって少しは違うことを許容するそぶりをみせることができるが、子どもの場合は容赦なく違うと主張する。あー、その辺、自閉症の人たちと一部似たところがあるなと思うが、よく知りもしないので深くはつっこめない。だけど一応言ってみた。

で、野上椒子は大人のくせにぐだっているように見えたが、近くで子どもが子どもらしく困っているせいか、逆に冷静だ。やっぱり大人だったんだな、みたいな。というか、大人だからこそ引きずっている過去も蓄積されてるんじゃんという感じ(さあ、若者言葉風な言い回しをしてみました)。


倒錯がオタクの本懐だとすれば、時間とか性別とか年齢の入れ替わりってのは、実に美味しいテーマだ、ということが、改めて確認できて、満足。

*1:貧乏人の思いつく贅沢ってヤツはちんけでいけねぇな

*2:きも〜いって釘様が言うから以下略