「みんなの意見」は案外正しい

としても、その受け取り方が間違っていたら、正しいとか正しくないとか関係ないんだよなあ。


最近、web2.0と並んで(あるいはその一部として)、集合知という言葉が取り沙汰されることが多い。

しかし、スロウィッキーの言っていることをぼくが理解した範囲内では、少なくともハイウェーの比喩みたいにはならない。優れたものが広まっていくとか、スリヴァーみたいな能力共有じゃないだろう、と思う。

じゃあ、何が比喩として一番近いかなあと考えたのだが、恐竜惑星に出てきた宇宙の目が、イメージとして良い線行っているように思った。

しかし、恐竜惑星を見たのは、ぼくがまだこどもの頃だったので、本当にそれでいいのか軽くググってみたところ、量子力学ネタ的な絶対的“観測者”だとか説明されていた。そうだっけ? 宇宙の目(の構成要素)ってのは、は凡庸だけど長生きしたり祖先や子孫との繋がりの長い恐竜の脳の集合だったはず。それで、宇宙の目から得たモノを解釈することがその使用方法として重要で、宇宙の目を使うヒトが観測者なんじゃないかと思ったんだけどなあ。集合知を活かすために重要な要素である「個を集約する優れた仕組み」と、宇宙の目を使うヒトの役割ってのが、同じなんじゃないかと思ったのだけれど。宇宙の目は、それだけでは単に色々情報が集まっているだけなのだ。知は集合しているけれど、それだけ。それを活かすための視点というのが集合知を利用するために必要なもの。宇宙の目は、集合知とそれを引き出すシステムが一体化しているけれど、現代社会のwebはそこまでいっていない。ただ、SNS検索エンジンみたいなのが、そこそこそれを体現している、みたいな。

集合知というのは、ハイウェーの比喩みたいな、優れたモノに水準が移っていくという話ではなくて、データが沢山あれば誤差が丸まるくらいの意味合いでしかないと思う。大抵の物事は、関係ない人の方が多い。だから、母集団は、そのことについて知らない人の発する情報が入っている方が良いということになる。関係ない人は関係ないのだから、そのことに一切関わってこないけれど、その一切関わってこない人のスタンスからも情報を得なければいけないから、集合知を活かすのは難しい。何かに参加している人から得たサンプルだけでは偏りがある。関わっていないところ、ゼロのところから、それをゼロのままに情報を引き出すってのは、至難の業だろうね。SNS検索エンジンでは、今のところそれは無理。


というあたりのことを、風呂に入っているときに日本語で茫洋と思いついた。