かの

一週間遅れての京アニ版kanon1話を見た。まあ、すげぇ、と。


いたる絵の無意味なまでの再現。これは、airのときに――何故かハルヒのときにも――十分に体験したこと。今回も忠実。まあ若干アゴしすぎている気もするが、何かへのオマージュだろうか。多分いたるに、だろう。それ意外になにがあるだろうか?


で、今回感心したのは、絵としてのリアリティ以上に、画としてのリアリティを感じたこと。うわ、自分で書いてみて中二くさっ。モデルとなる舞台があって、その写真資料をトレースしたというのが、絵としてのリアリティ。それに加えて、カメラワークというか、画面構成それ自体が一種の世界観を感じさせるというのが画としてのリアリティ。画面の流れがスムーズだから、ものすごく自然な感じがする。その自然な感じこそが人工的かつ意図的なもの。アニメーションは誰かが絵を描かなければ画面にならない。一歩引いた画面でキャラクターを描けるからこそ、そこにキャラクターがいる世界があるのだと、感じられる。


そして、ストーリー進行での演出。原作よりも北国っぽいアイテムを見せることで、生活感を出している。そのときの祐一の行動が何となくキョンっぽいのはご愛敬か、わざとなのか。それ以外の進行は、BGMも原作と同じ曲を使っているし、ものすごく原作に忠実な印象なのだが(荷物持ちとか元からそうだったんじゃないかという気がしてきた。名前はそう、谷口だし……)、原作はアニメではない以上、その印象こそ京アニのなせる技。さらに、ゲームだといかにもゲームのキャラクター的な嘘っぽさを感じたのだが、何か実際にそういうやりとりがあってもよさそうなリアリティを感じた。「うぐぅ」があんなに自然なセリフだったとはね。さあ、何が原因だろうか。間、じゃないかと思うがよく分からない。なりより画がいいのだ。じゃあ、何が画としての良さを感じさせるのか。それについては、きっとハルヒのとき同様に超解読する人たちが現れるだろう。他人に期待だ。


さて、多分、今回が初めてのテレビ化――あー、僕はアニメ化されたkanonを見るのはこれが初めてなのだが、実は以前にラジオドラマを聞いたことがあって、それでは祐一の声は私市だった。別に杉田でもいいのだが、杉田だと、どうもキョンに思えてならない。そこら辺は違和感。あと、名雪役の国府田の声の作り方にムラがあるように感じた。調子が戻ってこない、といったところだろうか。