大衆向けと多人数向けの違いのようなもの

 学校の図書館は、人気があるからといってライトノベルを安易に増やすのではなく、僕たちの考える材料となり感動できる本を集め、親しむことのできる環境をつくって欲しいと思います。

朝日新聞の投稿欄に、中学生の意見としてこういうのが載ったらしい。


「考える材料」かはともかく、「感動できる本を集め、親しむことのできる環境」を作った結果が、ラノベのある図書館(図書室?)なのでは?
この投稿をした少年は古典文学が好きだそうだが、古典文学が好きな人ははっきり言ってマイナで、ミステリを読む人とトントンくらいではないか。SFを読む人よりは多いと思うが。
特に、中学生は古典を読む人は少ないだろう。そもそも意味が分からないだろうし。分かったと思って本当に分かっているかも分からない。
まあ、読まれないことには図書館なんてないのと同じなので、ラノベだろうが何だろうが、読まれてナンボだと思う。大体、今でこそ古典と呼ばれているものもかつては大衆向けであったし、その当時の大衆は、当時において古典とされていた本をどれだけ読んでいたものか。まあ、ぼくが知らないだけでそれなりに読まれていたりして。
もっとも、これが古典小説でなくて、本気の古文・漢文の類を言っているのであったら、完璧おっさんの趣味であろう。歴史マニアでも存外一次資料まで読んだりしないものだ。それは歴史マニアとは別に古文書マニアにだったりするからな。


で、本なんてのは、読んだ奴の問題意識を言語化するくらいの機能しかなくて、本当に新しいことなんて本を読んだくらいでは身につかないし、身についたとて知識のための知識止まりだったりする。


中学生の投稿では、

この種の本が学校の図書館でも、たくさん購入されています。僕は古典文学が大好きですが、そのような本を読んでいる人はほとんどいません。
良書は、子供にとって成長を支えてくれるものと思います。事実、僕も様々な本を読み、とても多くのことを学びました。

とあったようだが、中学生の成長を支えられるくらい平易に書いてある本は古典には少ないし――まあ、実際のところラノベだって同時代だから読みやすいだけで、平易ではないと思う。ラノベのいくつかに見られる口語体崩れは、慣れない者にとっては古文と同じだし、ケータイ小説になったりするとまさに古文レベルだ――、難しい本を読めたとしても、ただでさえ経験少なく、その上人生を読書に割いている奴の人生経験を言語化する役になんて立ちはしないのだ。完全に趣味の読書である。投稿にも古典文学が大好きと書いてある。完全に投稿者の趣味だ。
ならば、読者の少ない古典よりは、多少なりとも読まれるラノベの方が良いんじゃないかな。


うむ。僕の中身は中学生ちょいなので、まさに中学生に向きになって反論している。はは、高二病だぜ。