Rosmarinus

BLUE DROPの第13話。

1話のアバンのシーンとつながった。始めからちゃんと調和がとれていたんだね。それで、1話のアバンをもう1度見直してみたら、作中作のセリフを語っている。13話では台本を手にしていた。1話のシーンと同じ時間のような気もするから、平行世界めいた演出かもしれないし、ちょっとした時間の前後かもしれない。


結局、演劇は最後までできなかったし、きっと千光寺萩乃も帰ってこなかっただろうけれど、結局それでも良かったのだ、という感じ。若竹マリはどうなってしまったのだろうか。宇宙に行くのが、若竹マリではなくて香月みち子なのが面白い。大舞台に立てる人間に成長したというのと、菅原裕子を受け継いだという印象。


千光寺萩乃にくっついていた3人娘が、千光寺萩乃がスパイかもと言ったり、さっくり逃げたように言っていたけれど、宇宙人であることについてはあっさり信じた発言であって、お嬢様なんだなと言うか、ツッコみどころが違うだろうと思った。そもそも、このメンバーは体育館から出ていないので、宇宙船の姿すら確認していないのに。川嶋朱音や船津丸ひろ子のように、「信じていたのに」「信じられない」(矛盾じゃないよ)的な反応が自然だと思う。それが、おかしな点。
あと、アナウンサーが「少女」と言い切っている点もおかしいといえばおかしいか。いきなり人間を投下するのは不自然なんだから、そこは「人形のようなもの」だろう。まあ、動いていたから「少女のようなもの」かもしれないけれど。


ファニーという意味でのおかしなところは、千光寺萩乃を追いかけて若竹マリが走り抜けていく街の建物に付いている飾りが剥がれていて、「パンのノムラ」が「パンの ムラ」になっているのが目立ったこと。
非常事態ではあるけれど、それは宇宙人に侵略されつつあるからだなんていう様にならない間の抜けた現実。それと、看板が剥がれたままになっているという間の抜けた現実。この妙な現実感が、非現実と現実の連続にリアリティを与えていると思ったり。シリアスな状況ではあるが、宇宙人の侵略というのはどこまでもシリアスになりきれないし、寂れた田舎町というのも(少女にとっては)シリアスじゃない。なのに若竹マリはどうしょうもなくシリアスに振る舞っていて、当事者あるいは青春の輝き。良いよね。



自分はそうしないのに、輝かしい他人の青春を良いよねと言ってしまうから、中学の先生に傍観者だと言われてしまうのだろうね、ぼくは。




そういえば、BLUE DROPのスタッフロールでは、いのくちゆかは漢字で猪口有佳のままなんだけど、なんか意味あるのかな。BLUE DROPの公式サイトでも漢字だったし、特別にそうなのか、意思疎通ができていないのか。