ライトノベルは進化論的に進化しました

私の個人的な考えですが、「小説として良く出来ていること」は、ライトノベルと呼ばれている作品群において、必ずしも「正しいこと」ではありません。

 毎年1000近い数の作品が刊行されるライトノベルでは、何よりもまず、隣に並べられた作品と比較して「目立つ」ことが重要になります。そのような場面において、小説そのものの出来というものは、はっきりいってほとんど役に立ちません。役に立つのは、あらすじやキャラクター、イラストなど、ひと目で、あるいは短時間で判断することのできる要素です。*7

 このスタートラインでおくれを取ってしまえば、いくら中身が良くても売れないのは当然の帰結です。売れた作品はシリーズ化してどんどん人気を得、売れない作品はあっさり打ち切られるのがライトノベルですから、いかにして1冊目を手に取らせるかがまずは大きなポイントになります。そのためには、あからさまに萌え路線に走るであるとか、アイデア一発勝負で挑むというのは、決して悪い手ではない、どころかわかりやすい特徴がある分頭ひとつ有利だとさえ言えます。


うさ道 http://d.hatena.ne.jp/USA3/20070529

目立たなければ生き残れないラノベにおいて、一般的な進化論の見立てでいうところの、目立つように進化してきたという感じ。生き残っていなければ、それはラノベとして知られることはないのだから、ラノベとして生き残るための一つの条件が目立つこととなる。目立つためには他のラノベと違うことをするのが一番効率的で、それ故にメタ的な視点を持つラノベが増えた。
そうすると、ラノベであることに自覚的でメタ的な種類のラノベが増えることになって、結局埋没してしまう。キャラ立ち方向はだいぶ出尽くした気がするから、キャラ方向に進むためには、以前と比べて労力を要する。そこで、キャラクターの絡みを増やすことで、属性同士のコミュニケーションのバリエーションをみせることに力を入れる作品が増えてくる。
ラノベじゃなくてアニメなんだが、「らき☆すた」というのはそういうものの象徴なのではないだろうか。多分ギャルゲーも女子の仲間の掛け合いが増えているはず。男子の掛け合いで喜ぶギャルゲーユーザーというのはなかなか想定しづらいし。
そうすると、キャラクターの個性は埋没し、属性として認識される最低限の情報と何だか良く分からない一回性のシチュエーションばかりが印象に残る作品が出てくる。

まあ、考察でもなんでもなくて、スペースキーを高くしたら親指で叩きやすいかもしれないという実証のための試し書きみたいなもの。


ところで、ぼくは、進化というのはある傾向に進むことだとか有利なものが生き残るという発想よりも、生き残った生き物は、生き残らなかった生き物よりは生き残りやすかったという消極的なものだと思う。省力的と言い替えても良いけど。アポトーシスや盲点みたいな遠回りなシステムが残っている積極的な理由はないと思う。