ほしのこえ

BS-hiでやっていたのを録画して、それを見た。文化の発展に貢献する気がさらさらない視聴スタイル。しかも批判だけはするし。はいはい、俺様ちゃん、俺様ちゃん。


BS2でやっていたアニメ夜話でも見てから、何か書けば良いんだろうけど。ものごっつ今更なんだろうけど。


まず、2002年発表の作品ということで、2006年の水準と比べると、この4年の間で技術は進歩したんだなあと思った。後の作品を見ると、新海誠の技術進歩もあったことが分かる。4年って、長いんだな。一説には制作費が200万円程度、という話だが、根拠不明。今現在でも、それ以上の価値はあると思う。


セカイ系とかはどうでもいいのだが、ストーリーの根幹をなす部分に疑問。宇宙で音が鳴るとか、宇宙軍の制服は女子校生風なのかとか、メールを受け取るのに同じケータイでないといけないのかとか、宇宙に出るようなマシンでも通信手段はケータイでないといけないのかとか、新聞が電子ペーパーなのに、紙の雑誌もあんなにあるのかとか、そういうことはまあどうでも良い。


ヒロインたる長峰美加子が、何故宇宙に行ったのかがさっぱり分からない。選抜メンバーだという話だが、普通何かに選抜されるということは、自分の意思で応募して、その結果選ばれたんだというイメージを抱く。それなのに、ぐだぐだ泣いたりするのは解せない。そういう自家撞着というか、自分の所為で起こった問題じゃん、みたいなのがセカイ系なのか。


いまいち感動できないし、共感もできない。BS-hiでは、ほしのこえの前にKAKURENBOという作品も放送していて、KAKUREMBOって綴りじゃないんだなぁ、ふーん、みたいなこと思ったのだが、KAKURENBOもまた、感情移入する余地がないというか、技術的関心でしか見られないような中二病感漂わせる作品だった。それと比べると、随分と優れているように見えるのだが、それでも、ほしのこえのストーリー進行の原動力が納得できない。森博嗣スカイクロラシリーズの方がよっぽど理解できる。と、唐突に言ってみる。


ほしのこえと比べると、雲のむこう、約束の場所は大分納得できる。ちょっと話が脱線するけれど、強制的な要因によって引き裂かれるならば、まだちょっとした青春の悲劇的で、理解できる。作品の尺の問題もあるのだろうけれど、ほしのこえはめちゃめちゃ重要な部分を欠いている感じ。そこらへんを、次回作で克服したように思う。とはいえ、外部的な要因があってはじめて動くような主人公は動機の面で受動的で、結局セカイ系だかなんだかというか、弱い感じになってしまうのだけれど。


これは、最近のライト系の作品全般に言えるような問題というか、日常生活的なリアリティを出そうとすると、そうならざるを得ないのかも知れない。順を追って説明すると、まず、インプットがあるからアウトプットがあり得るわけだ。そして、内側からわき上がる感情なんてものは抽象的だ。だから、行動という具体的な現象に昇華されるだけの説得力を出そうとしたら、目に見える外界からの働きかけによらないと、唐突に見えてしまってリアリティを感じさせることができない、ということ。


ここで話はほしのこえに戻ってくる。そういう過程をすっとばしてしまったから、共感力が高いというか、早合点するような人はストーリーで感動したかも知れないけれど、ちょっと無理があった。けれど、シナリオとして流れがあるアニメーションを一人で低コストで作れてしまうという現実を提示したという意味でとか、背景美術のレベルとか、語りの間とかの全体的な面で、やっぱりそれなりに評価できるし、評価されているんだな、みたいな感じ。そんなところ。以上、製作者にはお金を落としていない人が適当に脳内の汁を垂れ流す文章でした。