自分で自分を疎外する

あっちゃんかっこいいー!

よく「萌えゲー」と「擬似恋愛ゲー」は等号で結ばれる。しかし、ぼくとしては、この等式には大きな違和感がある。

ぼくがノベルゲームを遊ぶときの感覚は、たぶん一人称小説を読むときとそれほど変わらない。

ここにある。
そうそう。って、全然主論と違うところだけどね*1

ヲタクを批判する人たちは、たとえば、ヲタク系のメディアに触れているのは他者共感力がなくてコミュニケーション不全だからみたいなことを言う。

だったら、ギャルゲーで主人公と同一化するのもヒロインと疑似恋愛するのもできないはずだから、問題ないじゃん。現実と虚構を混同しようにも、導入部分で失敗してるじゃんかよ、みたいに思う。

ぼくはギャルゲーしないけどね。

*1:物語の読み方は人それぞれだから、感情移入しなくたってそれは物語だと思う。この人は鬼哭街のノベライズ版を読んでいるようだが、ゲームのときと観賞スタイルはきっと同じだ。というか、そういう本読みをする人が、同じようにゲームのテキストを読むのだ。“ゲーム的”との対比がなかったら何か書こうと思った。