死ぬのが恐いとしても、死んでしまったらその恐怖は感じない

というのも、唯物的価値観であって、そうは思わない人も多いんだろうなあ。

人間の本質は生きていることであって、動物の一種でしかないとぼくは考えている。だから、自分の肉体が滅びてしまったら、ぼくは死んでしまう。けれど、死んだって構わないから、ぼくの人格を保存しておいて、別のところで再生してくれるっていうなら、そうしてもらいたいものだ。それができるなら、生きていることや、人間であることに固執する気はない。ぼくの人格が、ぼくという物理存在から切り離されても、人格は人間の本質とは関係ない分、人間性の縛りから自由になれる気がする。人格を持ったまま解脱するようなものだ。それって素敵じゃないか。ハードの仕様によって自己が変質してしまうとしても、人間自体、生きている間に変わっていくし、似たようなもんだ。自己の同一性を社会的に認めて、生前のぼくと同じだと扱ってくれるなら、ぼくの人格をコピーされたただのロボットに過ぎないとしても、それはぼくだし、そのロボットは自分自身を「ぼく」と認識するだろう。