ずらしてあること

絵が上手いという場合、それは、頭に思い描いたものが優れていて、しかもそれをキャンバスに写すだけの技巧を持っていた、という2つの要素からなっている。

いや、センスがテクニックに先行しているとは限らないでしょう。例えば、写真(映画でも)をどう撮るかというイメージは、写真の発明以前にはそうはなかったでしょう。印象派の絵は絵具の進化の前からイメージだけはされていたかも分かりません。CGなんかはソフトを使ってみることで、イメージが湧いてきます。もっというと、未開の民族には地図を描くイメージすらない場合があります。

絵に関する二項対立的思考に、上記のことが書いてあった。孫引きを示す引用の仕方が分からないから実に適当なんだけれどはじめの文に対して、次の文がツッコんでる。両者は別の人(多分)。で、更にそれにツッコむという野暮さを実現。

はじめの文は、頭に何かを思い浮かべるとき、別に写真がないときから写真のイメージをするわけではなくて、写真があるときに、新しく写真を撮る場合に、良い写真をイメージするセンスがあるかどうかという状況での話をしている。あとの文は、自分で勝手に条件を足して、その条件でもって批判しているように感じられる。柳田理科雄じゃあるまいし、止してくださいよ、みたいな。確かに、「〜とは限らないでしょう」と断りを入れているけれど、元々の文が、新しいメディアによる表現の話をしているわけではないのだから、ちょっと違和感を覚える*1。まあ、下の文の条件で言えば、絵の具で彩色する技術はないけれど、コンピュータを使う技術はあったから、3DCGのレンダラを作って(あるいは使って)イメージ通りの彩色をするときの、その彩色のセンス、みたいに、新しいイメージを想像できるセンスがあって、それに合った表現方法を作る(パラメータを弄くるのも含めて)場合もあるのだから、センスに先行するテクニックに更に先行するセンス、みたいなことを考えることもできるわけだし、鶏が先か、卵が先か、みたいな*2

*1:違和感を感じるってのは冗語だろうね?

*2:遺伝みたいなことを考えると卵なんだろうけど