進化論への反論(への反論)の一つ。

「生き残ったものが適者であり、適者が生き残る」
これって、トートロジーというより、逆裏対偶の「逆」なんじゃないかな。進化論者はそんなアホな主張はしてないと思う。大体、適者が生き残ると言う言葉だけでは、適者が定義できてない。生き残ったものが適者と呼ばれるのであって、生き残るまでは適者じゃない。進化論は運命論じゃないから、適者だから生き残るなんてことは言わない。一方通行な考え方のはずだ。適者じゃないということは、生き残らなかったということ。進化論というのは、そんな当たり前のことしか言えないのだ。
で、なんで一方通行にしかならないかというと、生き残ったと言うためには、どうしても観察の開始を決めて、一定の時間の経過の後、生き残っていることが確認しなくてはならず、そういう時間経過が含まれているから。時間は一方にしか進まないから、生き残ったものが適者というのも、逆向きには言えない。そうすると、論理の問題として再反論するというのは、ちょっと的外れか。
適者が生き残ると言ったらダメという訳でもないが、ここで言うことのできる適者は、今までは滅びなかったという適者であって、これからも生き残るかどうかは約束されない。その意味での適者ではないのだ。
ということは、時間の概念を取り入れた条件を組み込めていないから、この言説は不要な批判を受けてしまうのだろう。なんか、良い表現ないかな。