俺がギャルになるアドベンチャーゲーム

そういう意味でのギャルゲー。ナムコ調の、無理矢理新ジャンルにしてみるキャッチコピーということで。

最近のオタクは、別に主人公に感情移入して感動しているんじゃなくて、ヒロインに感化されて感動する。祐一にどんな事件や過去があったろうか。問題となるのは、あゆや名雪の過去や心境だ。アニメになってしまうとそれはもっと顕著で、ヒロインのモノローグはあっても、主人公の逡巡などというのはあまり話題になってこない。衛宮士郎は共感しやすいキャラクタではない。視聴者はヒロインたちを愛でるのみである。

そこで、この際プレイヤーは、ヒロインに成り代わって選択肢を決定し、ヒロインを幸せにする後押しをすればいいのだ。そのほうが、意味もなくもてる男性主人公を介してのみヒロインに触れあえる旧来のゲームより、プレイヤーはヒロインと密接的な関係を築くことができる。

そうすると、プレイヤーは、ヒロインを介し、あるいはヒロインを導くというスタイルを取ることとなり(主人公は、ヒロインの女友達で、男性主人公に密かに憧れているが、それが言い出せず、自分から行動できるのは2週目とかにすると、萌えるんじゃないかと思うんだけど)、それではまるで男に告白するみたいな気分になってしまって、そんなことを望むプレイヤーはいないんじゃないか。

しかし、伊集院光が言うように、AVなんかを見ている野郎は、女優の喘ぎ声などに反応して高ぶっていくわけだが、女優は(少なくとも形式上は)男優によってイカされており、女優に合わせていきってくるAV視聴者は、女優と言うよりはむしろ男優にイカせられているというような状態だ。それでも、そんなことを無視して、単純に女優を見て用をなす。

また、野郎だって少女漫画を読む。少女漫画は、主人公こそ女の子ながら、その他のキャラクタは野郎ばっかりというものが少なくない。けれども、その少ないヒロインの一挙手一投足を応援するだけで、十分に楽しめるのだ。

あるいは、MMOでの女性キャラクターを使用しているプレイヤーに男性が多いことはあまりにも知れ渡っている。その男性プレイヤーの目的はどうであれ、多少なりとも女性化願望がある男性は多いのではないか。いかにも女の子が好きなそうな嗜好は少女趣味と呼ばれる。少女自体が好きな嗜好もまた、少女趣味とは言えないだろうか。その二つの少女趣味は、野郎の視点では割合重なり合った領域なのである。

そして、ギャルゲーのなかでも泣き系を好むプレイヤーは大抵童貞紳士である(憶測)。紳士ならば、困った少女を後押しすることにこそ幸せを見いだしたりしそうではないか。

というか、思い切って視点でも変えてみないことには、ネタがもうないんじゃない? あー、でもぼくはギャルゲやったことないから良く分からないんだった。

以上。